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鞍馬寺

鞍馬蓋寺縁起による鞍馬寺の歴史

鞍馬蓋寺縁起という書物によると、鞍馬寺は、奈良時代末期、宝亀元年に奈良、唐招堤寺の鑑真和上の高弟、鑑禎上人は、正月、夢の中で白馬に導かれ鞍馬寺に登山、その途中鬼女に襲われたところ毘沙門天に救われ、毘沙門天を祀る草庵を結んだとあります。

その後、桓武天皇が長岡京より平安京に遷都して2年、延暦15年のこと、当時造東寺長官だった藤原伊勢人が観世音を奉安する一宇の建立を願います。

夢のお告げで白馬で上った鞍馬山は鑑禎上人の草庵があり、そこで毘沙門天も観世音も根本一体と夢のお告げが再びあり、毘沙門天を奉安し、そののち、千手観音を造像し祀ったとされています。

文人も多く訪れた鞍馬寺

都から遠く深い山の中、霊山と呼ばれる鞍馬山にある鞍馬寺、それでも多くの文人がSNAKE意に訪れたといいます。
藤原道長、頼通、さらには平安王朝に使える多くの女流文学者もこの鞍馬寺を訪れています。

随筆枕草子を書いた清少納言は、枕草子の中で鞍馬の九十九折の道の事を書いていますし、菅原孝標の女も更級日記で鞍馬寺への参詣の様子をかいています。

源氏物語で有名な紫式部は、その物語の若紫巻で光源氏が紫上の少女時代、若紫とであったのが北山のなにがし寺としていますが、これが鞍馬寺であることがリアルな描写によってわかります。

武将たちからも篤く崇敬された鞍馬寺

源義経、幼名牛若丸はみなさんもよく歴史などでその名を聞くことがあると思います。
7歳の時に鞍馬寺に入山、16歳あたりにここを出て欧州平泉に下りました。

牛若丸は昼間は東光坊で仏道修行にはげみ、夜は僧正ガ谷において天狗に兵法を習ったという伝説があります。

南北が内乱に陥った時代に書かれた文書なども寺に多く残されていますし、戦国時代の武将、武田信玄、徳川家康、豊臣秀吉等が鞍馬寺にあしげく戦勝祈願に訪れ、豊臣秀頼は由岐神社拝殿を再建したということでも知られています。

自然がそのままに残る鞍馬山の魅力を堪能できる展示室

鞍馬寺は鞍馬山自然科学博物苑として山全域を名付け、ずっとその自然と生きものたちを守り続けてきました。

鞍馬寺は現在も人の手が加わっていない真の自然林を見ることができる数少ない場所です。
複雑な地形を持っていることで、独特な景観を見ることができるというのも鞍馬山の魅力です。

この鞍馬山を守り、美しい自然を近くで見る事の出来る場所として、鞍馬山、鞍馬寺は高い注目を集めているのです。

1階には豊かな自然と鞍馬の植物、生きものなどを知る事が出来る展示が楽しめ、2階の寺宝展覧室では、鞍馬寺が所蔵している絵画、書、工芸品や考古遺物等の一部が展示、公開されています。

鞍馬寺へのアクセスは京阪電車なら出町柳駅から叡山電車鞍馬駅で下車、阪急電車は河原町駅で下車、市場大橋をわたり京阪電車祇園市場駅から終点出町佐倉駅下車、叡山電車で鞍馬駅に向かいます。

地下鉄の場合、東西線三条京阪駅で下車、京阪電車山上駅から出町柳駅、叡山電車で鞍馬駅へいきます。

JR奈良線の場合、東福寺駅で下車、京阪電車東福寺駅から出町柳駅下車、叡山電車で鞍馬駅へ向かいます。
JR京都駅からバスに乗る場合、京都バス17系統、大原行、出町柳駅前下車、叡山電車鞍馬駅へ行きます。

軍艦島

世界文化遺産として登録されている軍艦島

軍艦島は通称で正式名称は「端島」という長崎県長崎市にある島です。
明治から昭和にかけて海底炭鉱として大いに栄え、当時は東京以上の人口を誇っていたといいます。

しかし次第に産出量が少なくなり、庄和49年、閉山となりこれにより島民は島を離れ現在は無人島となっています。
長崎港から南西、海上の約17.5kmの位置にあり、元々は南北約320m、東西約120mという小さな瀬でした。

1897年から1931年にかけて小さな瀬と周囲の岩礁、砂州を人工的に6回、埋め立て工事を行い3倍の面積に拡張し、南北に480m、東西に160mという島になりました。

現在は釣り人の憧れの地と呼ばれるほど、魚の宝庫といわれています。
付近の海域は非常に潮の流れがきつく、少しの風でも波の様子が一変するということもあります。

この潮の流れのきつさと風によって一気に様相が一変するということについては、軍艦島の桟橋が何度もコンクリートごと吹き飛ばされ流出し、改良に改良をくわえたドルフィン桟橋となっているところを見ても納得できます。

廃墟ブームに乗り一躍脚光を浴びた

確かに遠くから見ると軍艦のような形に見えるこの端島は、2000年代に入り近代化遺産として注目され、また廃墟ブームの中でも一躍注目の的となりました。
もちろん無人化のため、建物の崩壊なども起きていますが、人が暮らしていた痕が残りながらも廃墟となっている姿が何とも魅力的と人気があります。

以前は企業が所有していたのですが、2005年に高島町に無償譲渡となり、その後、2005年長崎市に高島町が編入したことを機に、長崎市に継承されました。

建物が老朽化しているということで長く立ち入りが禁止されていたのですが、2005年、報道関係者限定で上陸が許可となり、2009年には島の南部に整備された通学路に限って上陸、見学ができるようになっています。

都市並みの施設があった軍艦島

端島にはこの地で暮らす人たちの集合受託があり、このうち、7階建ての30号棟については、大正5年に日本初の鉄筋コンクリート造の高層アパートとして建設されたものです。

これを皮切りに長屋を高層化したと感じる社宅、高層アパートが次々に建設されました。
この中には売店があり、保育園や警察派出所、郵便局、さらにはパチンコ店まであったというのですから驚きです。

各棟を結ぶ通路は複雑に入り組んでおり、雨が降っても傘をさすことなく島内を歩けるといわれていたといいます。

端島は軍艦の形に見えるということから軍艦島と名がつけられた島ですが、もっともよく軍艦に見えるのは長崎半島最南端の野母崎半島から見た端島だそうです。

軍艦島には周遊プランがある

軍艦島には周遊プランがあり、その軍艦といわれる端島の姿をゆっくり見学できます。
また上陸ツアーもありますので、上陸してみたいという方はぜひ、世界遺産にも登録された軍艦島へ行ってみましょう。

上陸ツアーは軍艦島デジタルミュージアムで受付しています。
ここまでのアクセスはJR長崎駅から20分、大浦天主堂下下車徒歩1分、バスの場合、長崎駅前南口から30番、40番に乗りグラバー園入口で下車、徒歩1分かかりません。
お車の場合、長崎自動車道、ながさき出島道路経由、大浦天主堂方面です。

首都圏外外郭放水路

首都圏外外郭放水路、みなさんご存知でしょうか

埼玉県の地下に流れる河川、首都圏外外郭放水路があるという事をみなさんご存知でしょうか。
国道16号の地下、約50mに建設された6.3キロという地下放水路を、首都圏外外郭放水路といいます。

埼玉県の東部に作られた世界最大級の地下河川で、各河川から水を取り入れる役割を持っている流入施設と、貯水、流下するための地下水路、さらに地下水路から水を排出するための排水機場という構成です。

なぜこの首都圏外外郭放水路が作られたのか?というと、中川、倉松川、大落古利根川などが洪水になった時、この水を江戸川に放流する目的です。
各河川を地下で結ぶ放水路にすることで、浸水被害を最小限にする、また食い止め安全に暮らせる生活環境をめざし作られました。

どこにどんな機構の首都圏外外郭放水路があるのか

対象となる地区は江戸川、中川、大落古利根川に挟まれた低平地で、場所は埼玉県春日部市上金崎地先から小渕地先、園長6.3キロに及ぶ地域に存在しています。

雨が降り出し小さい川からの水が流入呂から首都圏外外郭放水路の立坑に流れ込みます。
それぞれの立坑に雨水がたまると地下トンネルを伝い水が流れ出します。
排水機場にはポンプがあり、そのポンプが稼働することによって江戸川に余剰となった川の水が排水されるという仕組みです。

首都圏は水に弱い

最近はゲリラ豪雨などで各地に大きな被害が及んでいます。
水は人の力でどうすることもできず、道路、建物も浸水させ、都市部では地下鉄などもありますので、一度浸水が始まるととてつもなく大きな被害が出ることもわかります。

首都圏に大きな雨が降ったら?この非常に大きなリスクを軽減するために作られたのが首都圏外外郭放水路です。

平成18年6月に完成しましたが、平成14年から部分的に稼働しており、1年間に平均7回という洪水リスクを安全に処理し、住宅地などへの浸水被害を軽減してきました。
気が付いていなかった、こうした計画や実施がある事も知らなかったのですが、実はずっと以前から洪水の大きな被害への改善、軽減が考えられ実行されていたのです。

世界最大級の地下放水路はものすごいスケール

ギネス級といわれるこの首都圏外外郭放水路は、水を取り込む直径30m、深さ70mという5本の巨大立坑、地中深く6.3キロを走る直系10mの地底トンネル、重量500ttiou大きな柱が59本で支えるマンモス水槽、これをしっかり排水するための14000馬力というタービン、まさしくギネス級のスケールを持った首都圏外外郭放水路です。

こんな施設が埼玉県にあるなんて・・・これをみたいという方も多いと思います。
首都圏外外郭放水路の壮大さを肌で感じてほしいと、地域の方々にこの「地下神殿」ともいえる巨大調圧水槽を見学してもらう見学会があります。

この見学会を通じて防災への意識も高めてほしいという願いが込められています。
故人見学も可能ですし、団体見学も可能です。
首都圏外外郭放水路見学会受付は庄和排水機場内、龍Q館2Fにあります。

龍Q館は埼玉県春日部市上金崎にあります。
車でお越しの方は圏央道幸手IC、五霞ICから薬30分程度、東北自動車道なら岩槻ICから国道16号を野田方面に30分程度、常磐自動車道の場合柏ICから国道16号、野田方面に40分程度です。

吹割の滝

東洋のナイアガラと呼ばれる吹割の滝

群馬県沼田市追貝にある吹割の滝は、東洋のナイアガラと呼ばれる絶景です。
この吹割の滝は、昭和11年天然記念物および名勝として指定されており、高さ7m,幅30mという迫力ある滝です。

轟音を立てながら落下する水量の多さ、飛散する様子などから東洋のナイアガラと呼ばれるようになりました。

この吹割の滝という名は擬灰岩、花崗岩の川床の上を流れる片品川の美しい水の流れによって、岩の中でも岩質が柔らかい部分を侵食することで生まれた多数の割れ目が、まるで巨岩が割れたように見えることで、吹割の滝と呼ばれるようになりました。

この辺りには鱒飛の滝、獅子岩、般若岩等を見ることができ、また遊歩道も整備されているので、散策しながら滝やそのほかの絶景を眺めるのに最高です。

この地だからこそ見る事の出来る美しい独特の渓谷美は、季節によってその風景を変えてくれます。
新緑の季節にも秋、紅葉が美しい季節にも最高の景色が見られますし、夏はいい避暑地となります。

緑に囲まれた遊歩道、渓谷沿いを下っていこう

吹割の滝に向かう道は深い緑に囲まれた気持ちのいい遊歩道です。
渓谷沿いに向かっていくとすぐにごうごうという流れる水の音が聞こえてきます。
最初の滝は鱒飛の滝で、この滝は吹割の滝から注ぎ込まれる大量の水が高さ15mから流れ落ちる小さい滝です。

利根川の支流となる片品川には昔鱒が遡上していたといわれ、鱒が必死に滝を超えようとし飛び跳ねる姿からこの鱒飛の滝と呼ばれるようになった所以といわれています。

更に歩みを進めると般若岩が見えてきます。
大きな口を開けた恐ろしい般若が眼前に見えてくるとその迫力に圧倒されます。
般若岩を過ぎるといよいよ吹割の滝の滝が見えてきます。

日本滝百選に数えられ、天然記念物であり名勝という国から認定を受けている、沼田市最高のスポットといっても過言ではない美しく迫力のある景色が間近に見られます。
三方向から豊富な水が勢いよく流れ込む様子はまさしく、東洋のナイアガラです。

吹割の滝の伝説、竜宮伝説

この吹割の滝には伝説があり、その昔、この滝は竜宮につながっていると考えられていました。

難でも村で振る舞い事があるたびに吹割の滝を通じて、膳椀を借りたといわれています。
おねがいするためのお手紙を滝に投げると翌日には頼んだ数の膳椀が岩の上にしっかりと揃えられていたのです。

しかし一組だけ返し忘れたことがあり、それ以降、おねがいを出しても膳椀を貸してもらえなくなったといわれ、その時に返し忘れたお椀は、竜宮のお椀として今もしっかり保存されているといいます。

吹割の滝へのアクセスを知っておこう

夏場など滝は涼しく、最高の避暑となります。
マイナスイオン一杯なので空気もおいしく、透き通った空間というイメージがあります。

ストレスを抱えている人が心と体を癒すにも最適な場所、吹割の滝へのアクセスは、JR上越線沼田駅からバスで40分くらい、車なら関越自動車道沼田IC下車、国道120号を尾瀬方面に直進し20分で到着します。

足尾銅山

日本一の鉱都と呼ばれた足尾銅山の歴史

栃木県上都賀郡足尾町に残る鉱山跡地、足尾銅山は国の史跡にも指定されています。
子の鉱山では、明治期、亜ヒ酸も産出されており、精錬の副産物として硫酸も産出していました。

発見は1550年とされているのですが、はっきりと発見が伝えられているのは1610年の出来事のようです。

百姓二人が鉱床を発見、これが幕府管轄の鉱山として採掘が開始されることにつながり、足尾に鋳銭座を設けました。
鉱山は産出量が多く大いに栄え、足尾の街は当時、足尾千軒といわれるほどの発展をみたそうです。

この当時は寛永通宝が利用されていましたが、この足尾銅山でも鋳造されたことがあるといいます。
ピーク時といわれる江戸時代には、なんと年間1200トンもの銅を算出しましたが、後に採掘量が極度に減少していき、幕末から明治にかけて閉山状態となります。

一度閉山状態となっていましたが、明治10年になり古河市兵衛がこの経営に着手し、その後、明治14年になって有望な鉱脈を発見、炭鉱技術も飛躍的に進歩し次々に有望鉱脈が見つかりました。

古河氏が亡くなり、明治38年会社としての経営に移ります。
この当時明治政府は布告強制政策を実施しており、それを背景に急速に発展します。
20世紀に入ると日本銅山の4割を占める生産があったといわれていますのでものすごい寮を採掘していたとわかります。

その後、1890年あたりから土壌、水質汚染問題などが表面化し1973年には採鉱を停止、閉山となりました。

足尾銅山の坑内は刊行できるようになっている

現在、この足尾銅山は坑内を見学できるようになっています。
400年という歴史を誇る日本一の鉱都とわれた足尾銅山を見に行き、その昔日本を支えてきた鉱山跡地を知るということもいい勉強です。

閉山後、坑内の一部のみですが解放され、とこっろ電車に乗って全長700mを見学できます。
この当時、鉱石の採掘は非常に過酷な作業で、つらく厳しい状況で働く人たちの状況が、リアルな人形によって再現されています。

当時、子の鉱山で働いた人たちが手作業で採掘している様がよくわかり、過酷な仕事だったことが、人形からしっかり伝わってきます。

また鉱石が銅になっていく課程を展示している銅資料館を含み3つの資料館の展示物を見学することもでき、日本が近代化していく時代をしっかりと支えてきたことが、貴重な資料からわかります。

近くには渡良瀬川があり夏場などは水辺で遊ぶこともできますし、この足尾銅山の敷地内にレストハウス等もあるのでご家族で訪れてみるのもいいでしょう。

栃木県日光市足尾町通洞にある足尾銅山には、JR日光駅か東武日光駅から市営バスに乗って53分くらいで到着します。
無休なのでこの辺りに行く際、立ち寄って鉱山の歴史を勉強してみるのもいいと思います。

鋸山 日本寺

古き伝統と格式をもった鋸山 日本寺の由緒

千葉県安房郡鋸南町鋸山にある鋸山 日本寺は、今から1300年ほど前に、聖武天皇詔勅と公明皇后の御言葉を受け、行基菩薩により神亀2年に開山された長き歴史を持つお寺さんです。

当初は法相宗でさらに天台宗から真言宗を経て、徳川三代将軍家光公の時代に、曹洞禅宗となりました。
開山当時には七堂十二院百坊を完備するという日本国内でも有数の規模を誇っていました。

空海や慈覚などの名僧が留錫(僧侶が行脚中に暫く他の寺院に滞在することをいう)したことが記録に残されています。
留錫した良弁は木彫りの大黒尊天を掘り、空海(弘法大師)においては、100日の間護摩を焚き、石増の大黒尊天をほられたといいます。

鋸山を愛した文人たちも多かった

日本寺のある鋸山は、多くの文人たちもあしげく通った場所で、多くの詩歌が遺されていることでも有名です。
鋸山 日本寺には境内に長谷川馬光、小林一茶等の文人画句碑を建立されています。

夏目漱石も有名な文人ですが、鋸山 日本寺を訪れた際の様子を本に残しており、木屑録にその当時の事がかかれていることも知られています。

夏目漱石と交流が深かったといわれる正岡子規は夏目漱石とは違う逆ルートで鋸山に登り、この旅について正岡子規も、かくれみのという本に記しています。

御本尊 薬師瑠璃光如来と武将の話

この鋸山 日本寺の御本尊は薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)です。
病苦、医薬の仏様と呼ばれており、瑠璃光で民衆を病苦から救ったとされています。

病苦、九役の仏様ということで、戦場の傷を癒しに多くの武将が訪れたという記録も鋸山 日本寺に残されています。
例えば源頼朝は石橋山の戦いに敗れ、房州に逃れる際、再起を図る武運を鋸山 日本寺でご祈願し、蘇鉄を頼朝自ら植えたとされ、この大蘇鉄は今も境内に残っています。

頼朝はこの後、鎌倉幕府を開きますが荒廃していた鋸山 日本寺を全山修工し、養和元年、薬師本殿を再建されたといわれています。

鎌倉幕府後期より南北朝自体には戦火が続き荒廃してしまいますが、その後、足利尊氏によって復興されました。

鋸山 日本寺に行くなら三兆エリアを見のがすな

静寂な中にも静かな迫力を感じる鋸山 日本寺ですが、山頂エリアには絶景が多数あります。
山頂の展望台にある「地獄のぞき」へ行くと、東京湾から房総半島、遠く富士山を望むことができる絶景スポットです。

かつて石切り場だった場所に彫刻されている百尺観音は、世界戦争戦死病殉難者供養、また交通犠牲者供養のために発癌されて作られたものです。
ここは、航空、航海、陸上と、交通の安全を守る御本尊としてしられているところです。

鋸山 日本寺に向かうアクセスですが、電車の場合はJR東京駅から内房線浜金谷駅、また保田駅下車、ロープウェイを利用する場合には、浜金駅を下車します。

表参道から登る時には、保田駅から遊歩道を利用します。
車でお越しの方は東京から川崎、木更津から鋸南保田に向かいます。

夜光町夜光運河前

神奈川県川崎市、工場夜景がみられる先駆けとなった場所

日本の工業を支える地域は日本各地に存在していますが、神奈川県川崎市も日本有数の工業地帯として知られています。
日本産業経済の発展を担うこの地には、鉄鋼、電機、精密機器、エレクトロニクスなど多様な工場が立ち並び、また関連する事業所も多く存在しています。

世界に誇る製品を作り出すメーカーなども多数あるこの川崎という街には、ものづくりの原点があり、ただ産業を担うという事以外に、今注目される動きがあります。
そのもととなっているのが、川崎市の川崎臨海部で見る事の出来る美しい夜景です。

神奈川県川崎市の臨海部にある夜光町は夜でも海中に光が煌々と照らしている美しい景色が見られるということから、夜光という名称になりました。

古くから夜光という名称があった

川崎市にある水江運河沿い、ここは京浜工業地帯の中心部に位置し、川崎大師からもほど近いことで知られていますが、工場、倉庫などが多く民家はほとんど見られません。

夜光町と呼ばれていた夜光町夜光運河前辺りは、工場、また煙突にともる光が印象的でこう呼ばれていました。
しかし、工場夜景がみられるということが広まり、1967年、夜光町という町名が正式に決まったのです。

幻想的な夜景がみられるこの地域、実は古くから夜光という地名が使われていました。
平間寺つまり川崎大師を開いた平間兼乗は、夜の海に光を見て網を投げ入れたといいます。
すると網にかかったのは弘法大師の木像で、この木像は現在も平間寺に御安置されています。

工場夜景は都市部に幻想的な風景を作り出している

あまりにも臨海部の工場夜景が美しいということで、2008年に試験的ですがバスツアーを行ってみたところ、非常に大きな反響があり、民間バスツアー、また夜景を見る屋形クルーズなどが定期運航されるようになりました。

沢山の工場、プラントの作業用の照明が夜遅くなっても光続ける様はまさしく夜光で、多分こうしたバスツアーがおこなわれるようになる前も、カップル等がこの工場夜景をみに訪れていたのではないかと思います。

この辺りで特に有名な光がフレアスタックと呼ばれる炎の光です。
これは製油所など出てくる余剰ガスを無害化するために焼却が必要で、その償却の際に出る炎の事をいいます。

このフレアスタックはとても幻想的な光で、遠くから眺めるとまるで1本のろうそくの明かりがともっているように見えます。
煙突の高さ等もガスの量などによって決められているので、高さの違うフレアスタックが様々に光を発するその様子は、なんとも表現しがたい幻想的な景色です。

夜光町夜光運河前の夜景のほか、日本5大工場夜景がある

川崎では夜光町夜光運河前辺りの工場夜景が特に有名ですが、日本国内には工場夜景の発展を伴い、工場夜景のサミットが開かれるなど、日本5大工場夜景と呼ばれる地域があります。

川崎市、四日市市、北九州市、周南市、室蘭市は、工場夜景サミットを開き、工場夜景の幻想的な魅力を広く伝えています。

石油製油所などは停止することなく24時間稼働しているため、夜の光は止まることなく輝き続けます。

川崎工場夜景を見る場所へのアクセスは、川崎駅下車、そこから川崎市営バスかわさき南部斉苑を下車します。
お車で行く場合、首都高神奈川線1号横羽線羽田IC、若しくは神奈川6号川崎線浮島ICで降ります。

工業地帯なので駐車場等もなく路上駐車も厳禁!お車を止める際には、周辺のコインパーキング等を利用してください。

神の子池

神の子と呼ばれる美しい湖、摩周湖にある神の子池

摩周湖には美しいスポットがいくつもあるのですが、摩周湖に行くなら見ておくべき場所として、紙の小池があります。
この池は摩周湖の地下水がわき出て作られた池で、山の奥にあります。

摩周湖はカムイト、神の湖として古くから地域の方々に大切にされてきたのですが、この伏流水から形成されているという言い伝えがあり、神の子池と呼ばれます。

摩周湖は他の池と全くところがある

摩周湖は他の湖と大きく違う面を持っています。
それは、湖に流れ込む川もなければ、流れていく川もない、つまり水が入ってくる場所、出ていく場所が存在していないのです。

しかし摩周湖は春先、雪解け水が流れ込む時期になっても水位が上がる事もなく、その他の季節に水位が下がるということもありません。
これは摩周湖周辺の神の子池等に、伏流水を湧き出させているためです。

神の小池の伏流水は、なんと1日1万2千トンといわれるほど豊富です。
周囲220mで水深5mという神の子池は、ビックリするくらいに澄み渡り美しく輝いています。
透明度が本当に高いので、池の底に倒れた木々が神秘的な風景を作り出しています。

朽ち果てた木が倒れて神の子池に落ちて行っても、その後、腐ることなく化石のように沈みます。
水温が低く年間を通じて8℃程度ということなので朽ち果てることなく、他に見る事が出来ない風景を作り出しています。

倒木が朽ち果てることなく横たわる美しい湖の中、木々の間を縫うように泳ぐ赤色斑点のオショロコマとのコントラストが何とも言えない不思議な水中を見せてくれます。

青く清い神の子池はガイドブックにもあまり乗っていない

北海道の観光地、美しい絶景を見ることができるスポットなどに行っても、シーズン中は多くの観光客がなだれ込み、とても景色を見るどころではないという場合もあります。

北海道は外国人観光客も非常に多いので、中にはマナーを守らずゴミを捨てるなどの方も見受けられます。

自然を壊さないようにしなければ、この美しい景色を見る事が出来なくなってしまうかもしれないのに・・と残念な気持ちになりますが、神の子池は、まだガイドブックにもそれほど乗っておらず、山の奥の方にあるので、観光地化されていません。

この先、神の子池もこのあまりにも美しい神秘的な湖だからこそ、健康客が多くなる可能性がありますが、汚さない、触らない、自然を守るという事を念頭に見てほしいと感じます。

北海道斜里郡清里町にあります。
清里町市街から道道摩周湖シャリ線、中標津方面に向かい25kmくらいからハトイ林道へ右折、そこから2kmほど林道を進むと林道入り口付近に神の小池という看板があります。

林道ということで国道、県道ほど整備されておらず、路肩が崩れやすい場所です。
車で通行する場合、徐行必須です。

支笏湖

日本で最もきれいな湖といわれる支笏湖

支笏湖は支笏洞爺国立公園に属し、周囲約40kmというカルデラ湖です。
非常に深い淡水湖で、最大深度は360m、また日本で最も美しい湖、さらに日本最北の不凍湖としても知名度の高い湖です。

このほかにも支笏湖の周囲には、オコタンペ湖、苔の洞門、恵庭岳などの山々、手つかずの森等があり、雄大な景色と最高の自然を感じる事の出来るスポットです。

摩周湖も支笏湖同様透明度の高い美しい湖ですが、摩周湖の場合常に霧がかかるという状態で、それがまた神秘的な光景といわれていますが、支笏湖は霧がまれなので、鏡のような美しい湖面を楽しむことができるのです。

山々に囲まれ北海道という厳しい自然環境の中にあり、最北にありながらも凍る事がない不凍湖として知られ、春は命をつよく感じる新緑を見ることができ、夏はキャンプをする方々でにぎわいます。
冬は氷濤まつりがおこなわれることでも知られています。

支笏湖にある小鳥の森へいこう

この辺りに暮らす自然動物たちを感じたいということなら、支笏湖の近く、小鳥の森を散策されるといいと思います。
小鳥のほかに、シマリス、キタキツネなどの動物が暮らす森です。

支笏湖から周囲の山々、また対岸の美笛地区を眺めることができ、腫れていると支笏湖に太陽の光が反射し、キラキラ輝く支笏湖を眺められる絶景スポットです。

森林浴とバードウォッチング、のんびりお散歩を楽しみたいという方にはぴったりの場所だと思います。

支笏湖の水中遊覧船で美しい支笏湖の中を覗く

水中遊覧船にのって支笏湖の中を覗くというのも素敵です。
コバルトブルーで透明度の高い支笏湖には、沢山の魚たちが泳ぎ回っています。

窓の位置が水深2m位にあり、16の窓があるので湖底をじっくり見ることができます。
現在は2隻の水中遊覧船があり、一方は潜水艦タイプになっています。

ここで湖の中をよく観察してほしいのが、柱状節理と呼ばれる光景です。
まるで湖の中に切り立った崖が出現したような感覚になります。

カルデラ生成時、マグマが急激に冷やされ収縮したことで作られた自然の崖で、支笏湖の特徴的な部分を見ることができます。
この湖が火山によってできたものだとわかる証拠が、湖の中に広がっているのです。

砂地の波紋や荒々しく大きな岩、地球が作り出す造形は人工では決して作る事の出来ない絶景です。

支笏湖を回る前にビジターセンターで知識を仕入れておこう

支笏湖の事をある程度理解してみて回ると、支笏湖のどこが見所なのかがよくわかります。
最初に支笏湖ビジターセンターへ行って、どのように楽しむかを考えてから行動する方が、支笏湖の魅力をしっかり感じることができると思います。

支笏湖形成の歴史を学ぶ展示がされていますので、現在の支笏湖となっていく課程をジオラマで見ることができるので、しっかり学習できます。

支笏湖へのアクセス

新千歳空港からくる場合、JR千歳駅経由の直通バスがあります。
支笏湖畔ターミナルまで約50分で到着です。

札幌駅前のターミナルからも直行バスが出ていますが、時期限定となっていて、6月中旬から10月中旬くらいまで利用できます。

旭岳

美しくそびえる北海道の最高峰、旭岳のある大雪山国立公園

北海道といえば本州では見る事が出来ない広大な自然を今、この現代に見る事の出来る自然の宝庫です。

中でも大雪山は北海道最高峰の旭岳を誇り、20連邦にも及ぶ標高2000m級の山々を総称しています。
この大雪山を含む大雪山国立公園は北海道の中央に成り立っており、日本最大の山岳を中心に原始性ある豊かな自然が魅力です。

その面積は神奈川県くらい、226,764ヘクタールを誇り1934年国立公園指定を受けています。
この大雪山国立公園の中の大雪山は、北海道、アイヌの人々からカムイミンタラ「神々の遊ぶ庭」と呼ばれており、崇敬されてきました。

文人の大町桂月は「富士山に登って山岳の高さを語れ、大雪山に登って山岳の大きさを語れ」という名言を残しているほど、大雪山は人の心を打つ迫力と雄大さを持っているのです。

旭岳の誕生はこうして誕生した

旭岳に登ると山頂から間宮岳員向井、お鉢平らという巨大なカルデラを見ることができます。
今から15万年ほど前、富士山同様の成層火山があったのですが、3万年ほど前に大爆発し頂上付近を吹き飛ばして、このカルデラが出来ました。

火山活動はその後も活発でカルデラ西武においてさらに活発化し、2万年から数千年くらい前に旭岳の東歩行にある熊ヶ岳の噴火が起こり、それをきっかけに外側にある旭岳の火山活動が始まったといわれています。

旭岳はその後、何度も爆発を繰り返しものすごい寮の噴出物を吐きだしました。
成層火山としての特徴的な出来事ですが、500年ほど前、西側斜面に水蒸気爆発が起きたことで地獄谷が形成、現在の旭岳の姿になったと伝えられています。

旭岳はその美しい山、高山植物などを見ることができるという魅力がありますが、その他にも、姿見の池、夫婦池といった美しい湖を見ることができます。
この池は元々噴火口であり活発な火山活動中は真赤なマグマが流れ出した場所です。

噴火が沈まり、底に雪や雨が降り水が溜まったことで現在のような美しい湖に変わりました。

大雪山の高山植物や生きものたち

夏、大雪山、旭岳に登ると日本国内でも最大といわれるほど多種多様な高山植物を見ることができ、美しい自然の花畑は圧巻です。
この種類は約360種といわれ、普段は視る事が出来ない、厳しい環境の中、春夏に命を燃やす植物の息吹を感じることができます。

またここにはたくさんの生き物がはぐくまれており、ヒグマ、エゾシカ、エゾシマリス、クロテンなどの動物を見ることもできます。
鳥類も国の天然記念物となっているクマゲラやシマフクロウ、冬場はオオワシ等も見られます。

北海道の中でも陸生鳥類8割を占めるといわれる140種がこの大雪山で暮らしているのです。
美しい自然とその厳しい環境の中、強く生きぬく生きものたち、この場所にいくと北海道の雄大さ、自然のすばらしさを体感できます。

道央自動車道から旭川鷹栖IC、旭川北ICで下車します。
旭川空港から車で60分程度です。
バスでお越しの場合、旭川駅前からいで湯号というバスが出ています。
JR旭川駅前から旭岳ロープウェイ山麓駅前の区間は1日4往復の運行です。